七佛通戒偈

柳田聖山さんの続き...

無名のブログだから、ちょっと長く引用しても叱られないよな..^^;

 

『 諸悪莫作 衆善奉行 』

八歳の童子も知っている。八十の老人も行い得ないのが、この一句だ。

地上に立っている白楽天は、樹上の鳥窠和尚にこう叱られた。

それは、知識のつまらなさ、実行の大切さを言ったのではあるまい。

もしそれだけのことなら、過去の七仏が口をそろえて説くまでもない。

問題は、むしろ次の句にある。

 自浄其意 是諸仏教

善を行って善を忘れ、悪を行って悪を忘れるのが、ブッダの教えである。

悪を行って悪を忘れることなら、誰でもいつでもやっている。

こう言う人が、あるかもしれぬ。

しかし、本当に悪を忘れることができるだろうか。

天知る、地知る、我が身知る。

他人は欺き通せても、我が心をいつわることは、良心のある限り難しい。

まして、善を行って善を忘れることの難しさ。

ブッダの教えは、本当はここからはじまる。

 愛して而も其の悪を知り、憎んで而も其の善を知る。

これは、『礼記』にあることばだそうである。』 以下略

 

善とは何か、悪とは何か、自浄の浄とは何か、とこだわって、読書の幅が拡がった。

どうやら人間は螺旋状の発展(変化)をしていくしかないらしい。

そこでそれを全て放棄する...難しいなぁ ><

 

花開いて世界起こる

難しい事はわからない。

ただ、ここ数年の生活から禅的なものに好感を感じるだけ。

柳田聖山さん。

師というには離れすぎている。

尊敬していると言うには、こちらが非学すぎる。

一番近い言葉は「大好き」なのである。

その知識の深さは底が知れない。

禅語は奥が深すぎる。

その深すぎる奥を、優しい言葉でハッと気付かせて戴ける。

「花開いて世界起こる」もそのひとつだ。

「この言葉は、道元の「正法眼蔵」を理解する鍵である。

正法は、花の開くように躍動的に、その朝突如として、

目に見えてくるのである。」

前後は略しますが、端的な文章の中に実に深い学識が織り込まれています。